スカーレットインクとはアメリカで走っていた牝馬で、1973年に社台ファームが繁殖牝馬として購入し、日本に輸入されました。
桜花賞トライアル勝ちのスカーレットリボンや重賞を4勝したスカーレットブーケ(2頭とも父はノーザンテースト)を輩出し、更にその産駒が枝葉を広げたことで「スカーレットインク系」という系統が確立され、日本の有力な牝系の1つにまで成長しました。
ヴァーミリアン・ダイワメジャーといった獲得賞金10億円超えの名馬が2頭もいるスカーレットインク系の馬名をまとめてみました。
覚えておきたい世界の牝系100
馬名 | デビュー年 | 獲得賞金 | 主な勝ち鞍 | 馬名の意味 |
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ヴァーミリアン | 2004年 | 116,860 | ジャパンCダート フェブラリーS 川崎記念2回 JBCクラシック3回 東京大賞典 川崎記念 | 朱色 |
ダイワメジャー | 2003年 | 106,181 | 皐月賞 マイルCS2回 天皇賞秋 安田記念 | 冠名+最高の |
ダイワスカーレット | 2006年 | 78,668 | 有馬記念 桜花賞 エリザベス女王杯 | 冠名+映画「風と共に去りぬ」の登場人物名 |
サカラート | 2002年 | 39,924 | 東海S ブリーダーズゴールドC 日本テレビ盃 | 緋色の布(ペルシャ語、Scarletの原語) |
ソリタリーキング | 2009年 | 32,785 | 東海S 日本テレビ盃 マーキュリーC | 孤高の王様 |
スカーレットブーケ | 1990年 | 31,175 | 札幌3歳S クイーンC 京都牝馬特別 中山牝馬S | 緋色の花束 |
ダイワファルコン | 2009年 | 28,502 | 福島記念 | 冠名+ハヤブサ |
トーセンジョウオー | 2004年 | 24,810 | 関東オークス エンプレス杯 | 冠名+女王 |
キングスエンブレム | 2007年 | 17,021 | シリウスS | 王の紋章 |
タヤスアンティーム | 1998年 | 16,418 | 春待月S(1600万下) | 冠名+親しいさま |
ダイワルージュ | 2000年 | 12,616 | 新潟3歳S | 冠名+ルージュ |
クォークスター | 2010年 | 9,669 | セントライト記念 | 超新星爆発を起した後に形成される天体 |
スカーレットリボン | 1987年 | 8,982 | 4歳牝馬特別 | 緋色の装飾 |
スリリングサンデー | 1998年 | 8,739 | 鳴滝特別(1000万下) | スリリングな日曜日? |
ブルーリッジリバー | 2001年 | 8,153 | りんどう賞(500万下) 桜花賞2着 | ブルーリッジ山脈+川 |
ブレイブスマッシュ | 2015年 | 7,496 | サウジアラビアロイヤルC | 勇敢+母名(トーセンスマッシュ)の一部 |
ブラックホール | 2019年 | 5,932 | 札幌2歳ステークス | 非常に強い重量を持った特異点 |
スカーレットレディ | 1997年 | 1,567 | 未勝利戦 | 緋色の女 |
ダブルスカーレット | 2019年 | 0 | 無し | スカーレット一族の超近親配合 |
ウオッカvsダイワスカーレット 天皇賞 運命の15分と二人の厩務員 スマートブックス
獲得賞金10億円超えコンビ ヴァーミリアンとダイワメジャー
獲得賞金が10億円を超えている馬を複数輩出している一族はスカーレットインク系だけです。
その一頭、ヴァーミリアンは2004年のラジオたんぱ杯2歳Sを武豊騎手で勝ちましたが、クラシック戦線では二桁着順続きでした。
しかし、秋にダート路線に転向後はひたすらダート戦線を勝ちまくります。
ヴァーミリアンのJpnI9勝というのは当時の日本歴代1位でした(その後、コパノリッキー11勝、ホッコータルマエ10勝で記録更新)。
もう一頭の10億円ホース・ダイワメジャーはスプリングS3着後の皐月賞を11番人気で制覇。当時は中山が得意なデムーロ騎手の好騎乗も賞賛されました。
しかしその後は喉なりの影響もあり惨敗が続きます。喉の手術を乗り越え、復活を遂げた後、安藤勝己騎手とのコンビが固定化されてからは安定した走りを見せます。
マイルCSの連覇を含むG I四勝を果たし、10億円ホースとなりました。
骨折が悔やまれる スリリングサンデー
スカーレットブーケの第三仔として産まれたスリリングサンデーはデビュー戦で後の NHKマイルC勝ち馬のシンボリインディを破ります。
その後、エリカ賞ではアドマイヤベガと接戦、福寿草特別ではトゥザヴィクトリーとナリタトップロードを破る等、後のG Iホースと遜色ない能力を示します。
残念ながら若駒Sの後に骨折が判明し、長期休養となりますが、無事ならば1999年クラシックの有力馬の一頭であったかもしれません。
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