【サッカーボーイ】サッカーに関連する馬名一覧【ワールドカップ】

昭和の最後に活躍したサッカーボーイの時代から、サッカー用語は馬名に使われてきました。

日本のサッカー界は1993年にJリーグが開幕し、1998年にW杯初出場。中田英寿選手がイタリアのセリエAに移籍後、海外のサッカー情報がどんどん入ってくるようになり、一般社会に普及したサッカー用語も増えました。

サッカーに関連する言葉を馬名に使っている馬たちをまとめました。

馬名デビュー年主な勝ち鞍意味
サッカーボーイ1987年マイルCSサッカー少年
オフサイドトラップ1993年天皇賞秋守備側がオフサイドを狙って仕掛ける戦術
ハットトリック2004年マイルCS
香港マイル
3得点すること
ハットトリッカー1996年桂川Sハットトリックする人
ミナモトマリノス1995年若葉S横浜マリノスより
アドマイヤセレッソ2004年無し冠名+桜(西)
バンブーユベントス2002年日経新春杯
青葉賞2着
冠名+ユベントス
バンブーウエファ2006年初夢賞冠名+UEFA
スプリングナント1998年香取特別(900万下)冠名+フランスのサッカーチーム「ナント」。
スタッドジェルラン2008年ジュライS(OP)フランスのサッカーチーム(リヨン)のホームグラウンド名より
プラティニ1991年ジャパンC4着フランスのサッカー選手 ミシェル・プラティニより
ペルーサ2009年青葉賞マラドーナの愛称
コディーノ2012年東スポ杯2歳S辮髪(べんぱつ)のこと。愛称を持つロベルト・バッジョ選手より
ハンソデバンド2006年共同通信杯常に半袖を着用するサッカー選手の播戸竜二選手から
マイスターシャーレ2017年1勝クラスサッカー・ブンデスリーガの優勝チームに授与されるトロフィー
ワールドカップ1997年南部特別(900万下)サッカーW杯より
ヘディングマキ2009年未勝利戦ヘディングが得意なサッカー選手の巻誠一郎選手から
カズダンス未出走無しサッカー選手の三浦知良選手のゴールパフォーマンスから
ロングスローイン2010年500万下ロングスロー
ロスタイム2001年白川郷Sロスタイム
セットプレー1999年500万下セットプレー
ブルーイレブン2002年東スポ杯2歳S、関屋記念青い11人
サムライブルー2017年未勝利戦サッカー日本代表の愛称
グラスボランチ2001年金蹄Sボランチ。中盤の底から試合をコントロールする。
アサクサボランチ1996年500万下ボランチ。中盤の底から試合をコントロールする。
キーボランチ2002年メトロポリタンSボランチ。中盤の底から試合をコントロールする。
アーセナルゴール2010年賤ヶ岳特別 (500万下)英サッカーのアーセナルが得意だった得点パターン
カテナチオ2016年無し堅守速攻の戦術。
トレクァルティスタ2013年1000万下サッカーにおけるトップ下のポジション
ゴールデンゴール2008年無しサッカーの延長戦の方式の1つ
スタッドドフランス2016年無しフランスのスタジアム名
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元祖サッカー馬名 サッカーボーイ

サッカー関係の馬名の元祖といえばサッカーボーイ。まだ日本がワールドカップにも出たことがなく、Jリーグも始まっていない1988年に、2000メートルを1分57秒台で走り、マイルCSを4馬身差で独走しました。

1988年の函館記念で記録した1分57秒8というタイムは現在でも函館競馬場芝2000メートルのレコードタイムとして記録されています。

サッカー系馬名が多い渡邊オーナー所有 オフサイドトラップ、ハンソデバンド、ワールドカップ、スタッドドフランス

オフサイドトラップハンソデバンドワールドカップエルコンドルパサーで有名な渡邊隆オーナーの所有馬です。

渡邊オーナーはサッカー愛好家で、馬名もサッカーにちなんだものが多くエルコンドルパサーの由来もペルーに住んでいたサッカー部の知り合いからの案ということです。

ハンソデバンドの由来の播戸竜二選手と渡邊オーナーは面識があり「冬でも半袖で、終盤の87・88分あたりでもスライディングで守る気持ちのある選手」と称賛しています。

ワールドカップは日本がW杯初出場を果たした1998年に3勝を挙げる活躍を見せました。

巻誠一郎選手が馬名の由来のヘディングマキも渡邊オーナーの持ち馬であり、ハンソデバンドの弟でもあります。

ハットトリッカーとハットトリック

サッカーボーイ産駒のハットトリッカーがあまり出世できずに引退した後、サンデーサイレンス産駒のハットトリックが登場。

サッカーボーイ産駒でもないのに紛らわしいと、ハットトリックの馬名には疑問の声もありましたが、あっという間にG Iホースに上り詰めました。

ハットトリックは、その名前からサッカーボーイ産駒と勘違いした記者がおり、2005年の最優秀内国産馬の投票で2票が入ったのは有名な話です。

マリノス、レッズ、エスパルス

ミナモトマリノスは無敗で皐月賞トライアルの若葉Sを勝利し、皐月賞でも4着。

秋には古馬一線級のマーベラスサンデーと京都大賞典で接戦を演じ、クラシック戦線の中心で走り続けました。

ミナモトマリノスの他にミナモトレッズミナモトエスパルスもいて、Jリーグシリーズ馬名として知られています。

名選手の愛称 ペルーサ、コディーノ

ペルーサはアルゼンチンの英雄、マラドーナの愛称です。マラドーナのヘアスタイルである「縮れ毛」を意味します。母馬・アルゼンチンスターからの連想と思われます。

尚、2021年現在、父・ペルーサの「マラドーナ」という馬が現役で走っています。

一方、コディーノはイタリアの英雄、ロベルト・バッジョの愛称です。イタリア語で「辮髪(べんぱつ)」という意味です。

髪型から「馬の尻尾」を意味して、コディーノという愛称がつきました。

武豊がコントロールを諦めたブルーイレヴン

ブルーイレヴンは若き日の角居厩舎に所属し、デイリー杯2歳Sを2着した後、東スポ杯2歳Sを圧倒的1番人気で勝利。クラシック候補となりました。

次走のラジオたんぱ杯2歳ステークスでは、かかり癖とササリ癖が出て7着。しかし不良馬場にも敗因があると考えられ、次走の京成杯でも1番人気となりました。

ところがこのレースで危うい気性が爆発します。2コーナー手前から大暴走となり、あっという間に大逃げの形となります。先頭に立ってからの600メートルは1ハロン11秒前後のラップとなり、直線はバッタリ止まりました。レース後、鞍上の武豊騎手は「ボクには無理です」とコメントを残します。

古馬になって重賞を勝利しましたが、潜在能力は父・サッカーボーイ級であったとも言われ、制御が効けばもっと活躍できたと思う個性的な名馬でした。

ボランチ3銃士 グラスボランチ、アサクサボランチ、キーボランチ

3頭は「ボランチ」という言葉が定着した2000年前後に走った馬たちです。Jリーグが始まり、ブラジルがダブルボランチを採用して94年アメリカW杯で優勝した頃から一般的な言葉になったでしょうか。昔はディフェンシブハーフ、今はレジスタやアンカーといった言い方に変遷しているようです。

4分の3の人 トレクァルティスタ

イタリア語で「4分の3の人」という意味のこの言葉は、トップ下を表します。カカやジダンが代表的だそうです。

サンデーレーシングはたまにサッカー関連の馬名をつけており、前述のコディーノの他、ピッチサイドトーク(サッカーフィールド脇のおしゃべり)やセットプレー(得点確率が高いから)といった馬名をつけています。

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