9文字に収まりきらなかった馬名一覧

JRAでは馬名の文字数の上限は9文字と定められています。

そのルールのため、本来つけたかった馬名を9文字に短縮して登録した馬たちをまとめました。

馬名本来の馬名(予測)デビュー年獲得賞金(万円)主な勝ち鞍
マチカネタンホイザマチカネタンホイザー1991年51,753ダイヤモンドS
目黒記念
AJCC
高松宮杯(G II)
オウケンブルースリオウケンブルースリー2008年50,386菊花賞
ジャパンカップ2着
カルストンライトオカルストンライトオー2000年42,204スプリンターズS
カツラノハイセイコカツラノハイセイコー1978年31,216日本ダービー
天皇賞春
ディーマジェスティディープマジェスティ2015年30,243皐月賞
メイショウビトリアメイショウビクトリア1990年25,205ステイヤーズS
ファビラスラフイン
ファビュラスラフイン1996年22,610秋華賞
NZT4歳S
ジャパンカップ2着
ハートランドヒリュハートランドヒリュウ1998年13,308名鉄杯(1000万下)
※サラブレッド系種の最多出走記録保持(127戦)
キングオブカポーテキングオブカポーティ1996年10,583メルボルンT(1600万下)
ニホンピロムーテーニホンピロムーティエ1970年10,531菊花賞
クリムゾンクローバクリムゾンクローバー1998年6,553遊楽部特別(900万下)
アネモネS2着
キングアレキサンダキングアレキサンダー2008年2,060500万下
ソンナノカンケーネソンナノカンケーネェ2007年0無し
スポンサーリンク

歌劇 マチカネタンホイザ

ミホノブルボンやライスシャワーと同期で、長距離路線の名脇役として活躍したマチカネタンホイザの由来は、ワーグナーの歌劇「タンホイザー」です。

9文字に収まりきらず、「ー」をカットしてマチカネタンホイザとなりました。

ノーザンテースト産駒の獲得賞金1位の成績を残しています。

顔の流星が鼻がモゲるように曲がっていたことから、担当厩務員さんからは「モゲ」とも呼ばれていたそうです。

尚、何もつかないタンホイザーという馬やマコトタンホイザーのように入りきった馬もいました。

ブルースリー オウケンブルースリ

ウオッカが勝った2009年のジャパンCで渾身の追い込みを見せ、ハナ差の2着となったオウケンブルースリ。馬主さんが空手を始めたきっかけとなったブルース・リーにちなんで名付けたそうです。

軽石の超快速馬 カルストンライトオ

新潟直線1000メートルの日本レコードを保持する快速馬・カルストンライトオ。馬名の由来は『馬主の清水貞光さんの本業で軽石(軽いストーン)を扱う+貞光さんの「光(ライト)」+王(オ)』。

ちなみに清水貞光さんの息子さんは、キタサンブラックメールドグラースを管理した清水久詞調教師です。

カルストンは冠名ですが「王」まで入らなかった馬が他にもたくさんいます。

  • カルストンオースオ
  • カルストンキングオ
  • カルストングラスオ
  • カルストンソロンオ
  • カルストンダイナオ
  • カルストンテイクオ
  • カルストントップオ
  • カルストンハードオ
  • カルストンヒットオ
  • カルストンペースオ

カルストンライトオが2002年のアイビスサマーダッシュで新潟直線1000メートルのレコードを出した時は、200m〜400mのラップタイムで、1ハロン9.6秒という記録も残しています。

これも日本最速記録で、瞬間的なスピードとしてはサラブレッドの限界レベルと言われています。


ウルトラ回収率 2022-2023 (競馬王馬券攻略本シリーズ)

父の威厳と占星術 ディーマジェスティ

2016年の皐月賞を制したディーマジェスティの馬名の意味は父名+威厳。父はディープインパクトなので、馬名が入り切らなかった馬としては珍しく途中を切ったという形です。

途中を切ってディーにした理由は、エリザベス朝時代の占星術師、ジョン・ディーにちなんだとのことです。

獲物を狙うテン ファビラスラフイン

父・ファビュラスダンサーのファビュラスが入らなかったのでファビラスになったファビラスラフイン。1996年の秋華賞を5か月の休み明けで勝ち、続くジャパンカップではシングスピールの2着に入り、史上初めて3歳牝馬でジャパンカップの連対を果たしました(当時は4歳表記)。

ラフインとは、フランス語で「テン」(イタチ科)のことで、獲物を捕獲するイメージから名付けられたとのことです。


競馬 伝説の名勝負 1995-1999 90年代後半戦 (星海社新書)

サラブレッド最多出走 ハートランドヒリュ

サラブレッドのJRA最多出走記録を持つハートランドヒリュ。馬主さんが所有していたビルの「ハートランド江坂」+父ランドヒリュウが由来です。ヒリュウは収まり切りませんでした。

ハートランドヒリュは1998年12月〜2006年3月まで127回出走しました。

尚、高知競馬ではダイナブロスという馬が300戦13勝という記録を残しています。

福永洋一伝説の騎乗 ニホンピロムーテー

父がムーティエなので、ニホンピロムーテエかと思いきや、伸ばしてムーテー。そんなニホンピロムーテーは福永祐一騎手のお父さんである福永洋一騎手の好騎乗で1971年の菊花賞を勝ったことで知られています。

スローペースを見越し、差し馬であったニホンピロムーテーを2コーナーで先頭に押し上げ、そのままゴールまで押し切りました。当時22歳だった福永洋一騎手はこのレースによって、「天才」という地位を確立したと言われます。

ちなみに33年後の2004年のオークスでは、息子の福永祐一騎手がダイワエルシエーロを向正面で先頭に立たせ、そのままゴールまで押し切るという類似した騎乗で勝利しています。


昭和の名騎手 (競馬ポケット)

コメント

タイトルとURLをコピーしました